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誰にも、何にも依存しない。推し活も、恋愛も

少し前、初対面のFacebook友だち数人と会いました。みんなが、それぞれ好きな韓国のグループのことや、ファンのいろいろな推し活文化について話していて、聞いているうちに、自分とは遠い世界だなと感じていました。それからしばらくして、仕事で音楽クリエイターと関わることになり、会って一緒に仕事をする前に、作品を何度も聴いて、インタビュー記事も読んで、静かにファンになっていました。ライブのオーラに触れてからは、もうすっかり夢中です。けれど、推し活の甘い気持ちのなかで、怖くなりました。

推し活を一度もしたことがないわけではありません。ただ、そこから幸せをもらって、何日も何週間も、推しの情報集めに浸っているうちに、こういう依存の中毒はよくない、と気づいて、ある「聖人モード」のときに、のめり込むのをやめました。「応援すれば、パフォーマンスや創作で応えようと頑張ってくれるはず」という期待は、いつか失望に変わるのが怖かったからです。推し活は特に一方通行で、アイドルは、あなたが注いだ気持ちに責任を持つ必要がなく、傷ついた心は、当然ながら、どこにも償いを求められません。

一方的に依存した恋愛も、たくさん見てきました。パートナーを生活の中心、最優先にして、自分を犠牲にして関係を保つために全力を尽くし、最後に別れを告げられたときには、行き場のない悔しさだけが残ります。そのうえ「努力の方向が間違っていた」と責められるのは、どうやって耐えればいいのでしょう。傍観している友人としては、事実や問題を口にするのがなかなか難しいです。「蓼食う虫も好き好き」「割れ鍋に綴じ蓋」とは言うけれど、友人の恋が悲しい結末で終わると、やっぱり胸が痛みます。

草壁:「(僕の)全部あげるよ」
佐条:「いや……半分でいい」
――中村明日美子『卒業生』より

それは、人がそれぞれ独立した個人で、相手の全部を受け止めきれないからだけではなく、相手に惹かれるのは、私がいないときに、自分らしく生きて、きらきらと輝いているその姿だからだと思います。

私も煩悩がないわけではなく、やっぱり盲目的に好きになってしまうし、欲もある普通の人間です。ただ、自分の軸を他人に預けないように、意識して気をつけています。健やかな自分とは、人はもともとひとりでも幸せになれて、自分に必要なものを知っていて、自分との付き合い方を知っていて、自分の面倒をちゃんと見られることだと思います。

そして、ひとりの暮らしがふたりの暮らしになるのは、「1が2になる」ことで、より大きな幸せや、(ひとりのときとは)違う種類の幸せを得ること。「0が1になる」こと、つまりひとりでは幸せではなくて、ふたりになって初めて幸せになることではないはずです。

パナイが〈你快樂所以我快樂(あなたが幸せだから私も幸せ)〉を歌うときに、こう話していました:

「あなたが幸せだから、私も幸せ」とずっと歌ってきたけれど、もしいつか、別の誰かの上に築く愛があって、つまり、あなたが幸せになって初めて私が幸せになれる、というのなら。それはいいことなのかな? それは幸せじゃないと思う。思う……そうかもしれないし、わからないけど。

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