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台南・鹽水の日帰り旅:今も残るものから、100年前の暮らしを読み解く

「一府二鹿三艋舺、四月港」。(台南、鹿港、艋舺、そして月津港、と昔の台湾の繁栄した港を並べた言葉です)

出発前は、鹽水(イェンシュイ)は何もない田舎町だと思っていました。思い浮かぶのは「鹽水蜂炮」と、近年知名度が上がった「月津港燈節」くらい。ところが実際は、想像以上に歴史の厚みがある町でした。日帰りでも、1泊2日でも楽しめますし、のんびり歩くだけでなく、収穫もたくさんありました。

今回は、台南に遊びに来ていた友人Kと一緒です。彼は電車で北上、私はバイクで南下して、新營駅で待ち合わせ。彼を乗せて、バイクで15分ほどで鹽水に着きました。行ったのは月曜日で、休みの主要スポットもいくつかありましたが、それでも行ける場所はたくさんありました。主な見どころ同士は、遠くても歩いて15分ほど。バイクを停めたあとは、一日中、歩いて移動しました。

鹽水は、実はものすごく栄えていた!

清の時代、鹽水は月津港のおかげで商船の貿易が盛んになり、栄えました。主な輸出品は砂糖です。1850年ごろから港に土砂がたまりはじめ、鹽水も少しずつ衰退。1885年には疫病が流行しました(これが鹽水蜂炮の由来です。科学的に見ても、蜂炮には消毒の効果があるそうです)。そして日本統治時代の1905年、鉄道を作ることになったとき、地元の名士たちは「鉄道は鹽水によくない、風水を壊す」と考えて、鉄道は隣の新營を通ることになりました——ガーン! 鹽水が衰退したのは、港を失ったからだけではなく、いくつもの要因が重なった結果だったのです。

こうした歴史は、歩いてまわるうちに、少しずつ知ったことです。

鹽水牛墟:ごめん、おすすめしません〜

「牛墟」は、昔、牛を取引していた市場のことです。いま台湾に残っているのは3か所だけで、毎月、日付の末尾の数字で順番に開かれます:鹽水(1・4・7)、善化(2・5・8)、北港(3・6・9)。

牛墟は、北港のものしか行ったことがなくて、そちらは何度も行っています。今回鹽水に来ることにしたのは、ここも牛墟のひとつで、日程も合うと気づいたから。鹽水は3つの中でいちばん規模が小さいと聞いていて、それは全然かまいません。ただ、歩いてみたら普通の朝市と変わらず、農具の屋台が数軒と、スッポンを売っているような珍しい屋台(珍獣(?)枠)が少しあるだけ。なので、がっかりでした……QQ

范楠鹽水意麵

路地を抜けているときに、たまたま通りかかりました。サンルームのような空間で意麵(イーミエン)を干していて、ちょっと新鮮です。体験やガイドツアーでよく連れてこられるようなので、「鹽水意麵界」ではそれなりの存在なのだと思います。

阿妙意麵

適当に選んだお店です。ふつうに食べられます。

テーブルの上の汁なしの意麵、揚げワンタンの皮、肉そぼろをかけた茹で青菜

意麵といえば、あとで橋南老街で出会った地元のおじいさんが、「いまの意麵は手早さとコストダウンばかりを追いかけていて、子どものころに食べた意麵はもう食べられない」と言っていました。また、カフェのお兄さんが2軒すすめてくれて、そのうちの1軒が阿妙でした。

永成戲院

開いているときは、みんなここでかき氷を食べたり、トイレを借りたりするみたいです。
でも月曜は休みで、窓から中をこっそりのぞくだけでした。脇にはアンティークの映写機材が展示してあり、客席の木の椅子も、映画館ができたときから使っているものだそうです。

ここは日本統治時代は精米所で、第二次世界大戦中にアメリカ軍に爆撃されて、戦後に映画館として建て直されました。映画を観るだけでなく、舞台劇も上演されていて、政財界の人や名士が集まる場所だったそうです。映画館が閉まったのは、なんと2000年! いまは、2014年に市が修復して、再び開放されています。

橋南老街:地元のおじいさんの路上ガイド

清の時代、もっとも栄えた商店街のひとつで、当時は南北の町へ通じる交通の要所でした(必ず通る道〜)。いまは、一部が廃墟、一部が住宅で、歩いて見てまわるのが中心です。

橋南老街にある、木の骨組みだけが一部残った古い家と、手前に積まれた赤レンガ

通りで見かけた、平べったい赤レンガの壁は、すべて中国から輸入したものです。当時、商船は帰りの船が軽すぎて転覆するのを恐れて、赤レンガを積んで「船底の重し」にしていました。この輸入レンガを使えるのは、お金持ちだけ。そこまでお金がない人は、表面だけ赤レンガを積んで、中には砂利や廃材を詰めました。この工法を「斗砌」といいます。貧しい人は、土のレンガで家を建てました。

ここで、地元のおじいさんに出会いました。おじいさんの古い家は、老街の最前列の家々の裏にあって、文化部(文化省)の補助金で修復しているところです。じつは「見学歓迎」の看板が立っているのですが、ちょうどゴミ袋に隠れていて、私たちも危うく見逃すところでした。

おじいさんは親切に、こんなことを教えてくれました:

  • 清の時代の家は、細長い造りです。この老街の古い家、おじいさんの家の場合は、一進(1つめの棟)が店、二進が寝室、三進が女中の住まいでした。(この家は、一進はもうなくて、私たちが見られたのは二進だけです)
  • 天井が高く、屋根裏を物置にできます。
  • 門は龍側(高いほう)と虎側(低いほう)に分かれています。
  • 清の時代、台湾に開墾に来られたのは男性だけでしたが、おじいさんの家系のある代の女性の先祖は台湾に渡ってきて、91歳まで生きたそうです。位牌(神主牌)もとても立派で、家がお金持ちだったことがわかります。
  • 建物の木材は、当時中国から輸入した福州杉です。運ぶときは船の後ろに引いて水に浸けていたそうで、そうすると虫の卵がぜんぶ死ぬのだとか。
おじいさんの古い家にある立派な位牌。開いた中に、先祖の来歴が書かれている

おじいさんは、さらに親切にも、昔、荷運びの人や牛車が荷物を通りまで運んだルートを見に連れていってくれました(ルートは、地図に少し書き込みました):

  • 清の時代、月津港の港があったのは、いまの大眾廟の場所です。
  • 荷運びの人が港から歩いてきたルートは赤い線、牛車が港から来たルートは青い線です(当時、橋南老街につながる興隆橋には木の板の道が敷いてあって、牛車も橋を渡れました)。
  • 小舟は運河から入ってきて、ここに停泊して荷降ろしをしました。(緑の丸が停泊場所です)
  • いまの中正路は、日本統治時代に作られた道で、昔はありませんでした。
月津港と橋南老街周辺の地図。青と赤のルートが書き込まれている

泉利鐵店

橋南老街の中にあって、200年以上続いています。調べてみて、台湾でいちばん古い鍛冶屋らしいと知りました。

展示や見学ができるスペースがありそうでしたが、私たちは入りませんでした(外から、中の人に会釈しただけです)。鍛冶場は、展示スペースで見かける、わざと作った演出のようで(とても失礼な感想ですが、本物なんです XD)、現実離れした古さに満ちていました。

泉利鐵店の中にある古い機械と、鍛冶の道具

鹽水護庇宮

おじいさんがどうしてここの話をしたのか忘れてしまいましたが、とにかく来ました。彫刻がとても見事で、見たことのない珍しいものもありました。ちょうど、お線香の灰を整理している職員の方がいたので、テーブルの飾りについて質問してみたら、とても親切で、なんでも気軽に話してくれる近所の人のような雰囲気でした〜

護庇宮の向かいには、バロック風の建物が並んでいます(大稻埕にあるようなタイプです)。明らかに日本統治時代に建てられたもので、前に出てきた中正路に面しています。

鹽水天主聖神堂:超おすすめ! 今回いちばんのお気に入り!

名前のとおりカトリックの教会ですが、建築も壁画も、とことん台湾風にローカライズされています。壁画の神父さんやイエスなどの人物が、みんな中国風の服を着ていて、最高です! 建築のスタイルも、まったくお寺のもの。この中西ミックスが大好きで、とても幻想的です!

天主聖神堂の天井画。中国絵画風のタッチで、イエスの出来事が描かれている
天主聖神堂の壁画。中国風の服を着た人物たちで、天使が聖母マリアにお告げをする場面が描かれている

海外旅行が好きで、教会めぐりが好きな人は、台湾国内にあるこの変わった教会を、ぜひ見てほしいです! 気になって調べたら、台湾には、こうしてローカライズされた教会がほかにもあるようで、また機会を見つけて訪ねてみたいです!

すぐ隣には、くっつくように「聖佳蘭隱修院(クララ会の修道院)」もあります。中には入れませんでしたが、この会派(?)は台湾ではここだけで、俗世から離れて、ふだんは修道女に会えないタイプです。とても独特なので、気になる方は調べてみてください。

王爺巷

路地の中に、百年の歴史がある王爺廟があって、それが名前の由来です。2階には、斉天大聖(孫悟空)がまつられています。

昔、ここはお金持ちの住宅街で、遊興の場でもありました(大きなホテルもあったそうですが、いまはなにも見えません)。お金持ちたちは、順番にお金を出し合って人を雇い、強盗を防ぐために夜番をさせていました。あとで会ったカフェのお兄さんによると、路地の脇に出っ張った小さな台があって、そこが昔、夜番のあかりを置く場所だったそうです。(私たちは気づきませんでした)

鹽水八角樓

砂糖で財をなした地元の「葉家」の大邸宅です。八角樓は、もとの大邸宅の「第三進」にあたります(一進と二進はもうなくなりました)。いまは修復工事中です。

昔、葉家の人たちは、テラスから港を眺めて、「うちの船が入港したぞ^^」と見ていたそうです。詩人を招いて、お酒を飲みながら詩を詠むこともあったとか。日本統治時代は、日本人に指揮所として使われました。

月津客舍 kAFE

「月津故事館」(月曜休み)の隣にあって、カフェであり、観光案内所でもあります。建物もまた古い家で、スタッフのお兄さんが親切に説明してくれました:

  • 一進は店で、その奥に台所と天井(中庭)があります。
  • 二進は、お客さんをもてなしたり、会議をしたりする場所です。二進の屋根裏には、家の女性たちも住んでいました(将来の旦那さんが訪ねてきたとき、こっそり見られるように)。
  • 三進には、家のお年寄りが住んでいました。いちばん静かで、邪魔されない場所です。

さっき橋南老街で聞いた間取りとは少し違っていて、聞き比べるのがおもしろかったです。

私たちは、2〜3時ごろに、ここで1時間近く休みました。天気はよかったけれど暑くて、頭に入ってきた情報量もすごかったです。(出会った人たちが、みんな熱心に案内してくれて、私たちも真剣に勉強して質問しました、笑)

修德拜亭廣場

「修德禪寺」の跡地に唯一残っている建物(日本統治時代に建てられた宗教建築)です。いまはかっこいいインスタレーション(現代アートの展示)があって、目を引きます。

そばには、昔のお寺全体の絵があって、部屋や設備がたくさんありました。いまは、この亭のまわりはぜんぶ連棟の住宅になっていて、もう想像もできません。残っていたら、きっとすごかったのに!

鹽水區農會意遊未盡農鮮直販所

ルート的には、少し引き返して、この農会(農協)のスーパーに寄りました(私の熱いリクエストで)。広くはありませんが新しくて、品ぞろえも豊富で、台湾各地の農会の商品が買えます。少しだけ、座って休めるテーブルと椅子もあります。

鹽水大眾廟

ここは、昔の月津港の船着き場があった場所です。主神は雷府千歲で、商船の安全を守る神さまです。「大眾廟」と聞くと多くの人が思い浮かべる、無縁仏をまつる陰廟とは違います。

ただ、さっきの地元のおじいさんが、昔は船の上で病気で亡くなる人がいて、このあたりで処理された(埋葬、それとも火葬?)と話していました。港のそばで処理をするのは、わりと理にかなっています。だから、お年寄りは、子どもたちがこのあたりに行くのを嫌がったそうです。調べたら、この廟とは関係がないそうです。

鹽水武廟(月港武廟)

鹽水蜂炮は、主にここが発祥で、主催もここです。敷地が広くて、左奥にはフードコートのようなエリアがあります。飲食店が5〜6軒ずらりと並び、テーブル席があって、カラオケの機械まで。午後は、たくさんのお年寄りが集まって、歌って楽しんでいて、とてもにぎやかでした。

帰路(?)

振り返ってみて、こんなにたくさんの場所に行っていたことに気づきました。通りかかっただけだったり、さっと見ただけだったりした場所もありますが、本当に疲れました! 夜は新營に行って、レストランでゆっくり座って、休みながらおしゃべりして食事をしました。(一日中、カフェで休んだとき以外は、あまり話せませんでした XD)

鹽水は、本当に予想外に中身が濃い町でした。おじいさんと、カフェのお兄さんは、今回の旅でいちばんの見どころで、行った場所の8割は、二人の紹介で知って、行くことに決めたものです。(最初は本当にゆるくて、なにも下調べしていませんでした、笑。ランチのときに、次はどこに行こうか話したくらいです)自分たちだけで探していたら、きっとただ通り過ぎるだけになっていたので、地元のNPCたちには、心から感謝です!

この旅で、ちょっと残念だったのは、手入れされていないインスタレーションがたくさんあったことです。たくさんの資源が入って、プロジェクトが行われたことはわかるのに、続かなくて、そのあとのメンテナンスもされていなくて、もったいないなと思いました〜〜

おわりに

毎回、記事にまとめるときになって初めて、写真が少なすぎたり、適当すぎたりしたことに気づいて、後悔しています!!

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